基礎データ


【皆様へ】
3月16日からウィキペディア日本語版の「ムルマンスク」を更新し始めました。

このページでは、ウィキペディア露版「ムルマンスク」をムルパソチームで翻訳したものを紹介してます。
しかしウィキペディア日本語版「ムルマンスク」では、旧記事の要所を残しながら翻訳文を掲載するようにしているため、
表現などを若干変えている箇所があります。3月末頃には更新完了の予定。

目  次
1.語源
2.町の歴史
 2.1基本
 2.2革命と内政干渉
 2.3戦前
 2.4 大祖国戦争下のムルマンスク
 2.5 戦後
 2.6 功績
3 地理
 3.1 地理的配置
 3.2 タイムゾーン
 3.3 気候
 3.4 河川湖沼
 3.5 行政区分
 3.6 計画と建設
4 行政と議会
5 人口
6 経済
 6.1 産業
 6.2 輸送
  6.2.1 港
  6.2.2 鉄道
  6.2.3 自動車交通
  6.2.4 空の交通
  6.2.5 町の交通
7 科学
8 教育
9 文化
 9.1 博物館
 9.2 劇場
 9.3 映画館
 9.4 スラブ文字組織と文化の日
10 健康保健
11 体育とスポーツ
12 名所
13 ムルマンスク出身及びムル
  マンスク在住経験がある有名人

14 国際関係
15 参照
16 リンク
市名
ムルマンスク
市章
ムルマンスク市章
ロシア
主体 ムルマンスク州
位置 北緯68度58分00秒 東経33度05分00秒
市内の地区名 レーニンスキー地区
オクチャーブリスキー地区
ピェルヴォマイスキー地区
市長 サフチェンコ・ミハイル
創立日 1916年10月4日
創立前の名称 ロマノフ・ナ・ムールマネ(1917年まで)
市としての認定日 1916年10月4日
面積 150.55km2
中心地の海抜 50m
人口 320,900人(2005年現在)
人口密度 2,132人/km2
市民呼称 ムルマンチャーネ(複数形)
ムルマンチャーニン(男性単数形)
ムルマンチャーンカ(女性単数形)
タイムゾーン UTC+3(サマータイム期間はUTC+4)
電話番号
(国:市外局番)
+7 8152
郵便番号(代表) 183000
乗用車識別コード 51
行政地域別
分類コード
47 401

 ムルマンスク(ムールマンスク;ロシア語:Мурманск旧称:ロマノフ・ナ・ムールマネ[1916-1917])はロシア連邦の都市であり、同時にムルマンスク州の政令都市名でもある。
 ムルマンスクは、バレンツ海に面するコラ半島北岸の、岩場の多いコラ湾東沿岸にあり、北極圏に位置する世界で最大の都市でもあり、ロシア連邦最大の港湾都市の1つでもある。
 人口は320,900名(2006年)で、ロシア連邦の中では第56位の人口数。
 大祖国防衛戦争時に、占領しようとする独軍に対し果敢に抵抗したため、後に政権を担ったソ連政府から「英雄都市」の称号が授与され。(MOPA)


1.語源

昔ロシア人は、古代ノルウェー人「ノルマン」のことを「ムルマン」と呼んでいた。その後この名称は、異国人が関係したことによって事件が起きた土地のことを言うようになった。バレンツ海沿岸を「ムルマン」と名づけるようになり、続いてコラ半島全体をそう呼ぶようになった。従って、「ムルマンスク」という名前は「ムルマンにある町」を意味している。(MOPA)


2.町の歴史

出典元:История Мурманска

2.1基本

19世紀の1870年代、北極圏に港町を建設する計画が出現した。1912年、新地調査の為最初の調査団がムルマンにやって来た。3年後の1915年、第一次世界大戦時に、バレンツ海のコラ湾右岸にムルマンスク港が創設された。バルト海や黒海の封鎖環境の中で、協約に則り同盟国から軍事物資を円滑に調達する目的で、この創設は不凍湾を通過して氷で覆われた北の海の出口を求めていたロシアの利欲と関係があったのである。公式データによると、市の創設は1916年10月4日とされている。この日、現在キーロフ名称文化技術宮殿がある小高い丘の上で、航海士の庇護者ミルリキスキー・ニコライ氏に敬意を表し荘厳な寺院起工式が行われた。町はロシア帝国の中で創設された最新の町となり、この町をロマノフ・ナ・ムールマネと呼んだ。半年後の1917年4月3日、つまり2月革命後に、町は現在の名称であるムルマンスクという名前を受けた。(MOPA)
寺院とロマノフ・ナ・ムールマネ市の創設
寺院とロマノフ・ナ・ムールマネ市の創設(1916年10月4日)

2.2革命と内政武力干渉

1917年、ペトログラード(現在のサンクトペテルブルク)での10月革命勝利後、ムルマンスクに暫定革命委員会が設立され、首長としてボリシェビキがこれを占めた。しかし2月革命までコラ湾での投錨許可を与えるという戦艦協約から、1918年3月には、既に上陸部隊が沿岸に武装上陸した。これが内政武力干渉の始まりだった。1919年に町の政権は白衛軍のところに戻り、北部暫定政府は白衛軍総司令官アレクサンドル・コルチャークの最高政権を承認した。1919年秋に白衛軍の支援をしていた連合国軍(英米)はムルマンスクからの撤退を余儀なくされ、コルチャーク率いる白衛軍急速に力を失っていった。1920年2月21日に町でボリシェビキによって組織された暴動が勃発し、政権は再びボリシェビキのところに返ってきた。(MOPA)


2.3戦前


1920年初めまでムルマンスクの人口は2,500人以下で減少状態であった。産業は家内制手工業の協同企業が主で、漁業は衰退に陥っていた。町には2,3本の通りがあり、通りに沿って平屋のアパート群、密集した仕事小屋、無秩序に存在するあばら小屋群、武力干渉者たちによって放置された半円型屋根に鉄製襞が付いた「チュマダーン(ロシア語でかばんという意味)」と呼ばれる建物群、住居下へ用いられた鉄道車両が立ち並んでいた。町は「赤い村」というあだ名を貰っていた、というのも住居の室内に適用された色が赤い色だったからである。

1920年代に町は急速に発展し、最初の5年間で「ロシアの産業中心地の1つ」に数え上げられるまでになった。ムルマンスクはその間には現在の艦艇と沿岸基地を見つけ、産業都市になっていった。

ムルマンスクのスターリン大通り
ムルマンスクのスターリン大通り(1941年)
工場の建屋が出現し、漁業産業基地が建設された。トロール漁船団が創設され力を集めていった。以前、水産加工や造船修理目的の軍事工場があった場所には漁港が建設され、これもまた急速に発展した。そして数年後には、国は既にムルマンスク地元民から年間200ツェントネル(=20万キログラム)の魚を受け入れるようになった。

木造の歩道と傍には1,2階建ての校倉が立ち並んだ通りが敷設された。1927年に、今日まで残存した初の煉瓦作りの多階建ての建物が出現した。1934年には、ムルマンスク市の北のはずれから市南部まで運行する初のマルシュルート式アフトバスが開通した。また当時、レニングラードまで急行「赤い矢号」が往復し始めた。1939年に初めて町のレニングラーツカヤ通りにアスファルト舗装がなされ始めた。祖国防衛戦争の始まりまでにムルマンスクで既に石製建造物が数十軒数えられ、町の人口は12万人に達していた。(MOPA)


2.4 大祖国戦争下のムルマンスク

出典元:Оборона Заполярья, Мурманская операция

祖国防衛戦争当初、ムルマンスクは陸空からの攻撃を幾度と無く受けた。戦略的重要性をもつ(戦略的要所である)ムルマンスクの占領(攻略)に邁進した。

けれども最前線部隊が独陸空軍からの急襲を40ヶ月以上にも亘って町を守ってきた。ザパリャーリエに15万人の兵士を配備した独軍は、ヒトラー元帥の勅命を次のように受けていた。「武器貸与法に則り、国や軍に供給するために同盟国から物資を経由できるムルマンスクの町と港湾を占領せよ。」

独軍司令部の見込みでは、ムルマンスクは数日で占領できるはずだった。
ムルマンスク空襲後に起きた火災
ムルマンスク空襲後に起きた火災(1942年)
7月と9月の計2回に亘って独軍はムルマンスク総攻撃を実行した。しかし、その2回に亘って実行された攻撃は失敗に終わった。敵を撃退した後も(攻撃をはねのけた後も)、空からの攻撃を続けた。1日に15-18回もの空襲を行い、この戦争の間に総計729回の攻撃で185,000個の爆弾を投下したのである。ムルマンスクでの過度のそして膨大な爆撃はスターリングラードの次に凄惨なものであった。

ミサイル攻撃の結果、設備の4分の3が消滅し、特に木造住宅及び建築物が大きく被害をうけた。中でも、1942年6月18日のミサイル攻撃が最も凄まじいかったという。ドイツ戦闘機が焼夷弾を投下装置ごと投下し、その後すぐ凄まじい地雷爆弾も投下した。風が強く空気が乾燥しているため火災は中心街から北東部まで燃え広がった。1944年10月7日にソ連軍はザパリャーリエで有名なぺトサモ・キルケネス作戦(キルケネス・ぺトサモに対する空母作戦。詳細はhttp://hush.gooside.com/Text/0A/01A/A32hAnse_.html)を開始した。3年の年月をかけて築いた強靭な防衛強化はヒトラー主義者を救わなかった。攻撃オペレーションの結果、独軍はひと月足らずで壊滅し、ソ連国境が復活した。古代ロシアのペーチェンガの大地だけでなく、北ノルウェーの地域をも独軍占領から解放したのだ。(Raffaello)



2.5 戦後

祖国防衛戦争終結に近い頃には、町は実に壊滅状態だった。残っていたものと云えば港湾施設と建物3軒ぐらいであった。1945年11月に政府の決議で、ムルマンスクは国内15都市のうち、モスクワ・ペテルブルクと並んで復興最優先課題と1つとして挙げられた。町の発展に1億ルーブルが分与された。町は十分なほど急速に復興した。戦後最初の10年間は産業施設、繋留線路、学校、幼稚園、託児所、映画館、クラブ、文化宮殿とテレビ局が建設された。1952年までには既に住宅建設がハイピッチで進められ、人口密度が戦前のレベルに到達した。次の10年間で住民の積立金が3倍に膨らんだ。住宅建築共同体が導入を開始してから建設会社は、煉瓦建設工法から建造物組立工法へと移行した。1963年にソビエト連邦閣僚会議は、町の将来に向けての計画的な発展が多く盛り込まれた「アルハンゲリスク市とムルマンスク市の発展について」の決議を採択した。

ムルマンスクに敬意を表して2000年に発行された2ルーブル記念硬貨
ムルマンスクに
敬意を表して
2000年に発行された
2ルーブル記念硬貨
20世紀の1970年代末〜1980年代初期には町は逞しく成長した。ペールヴォマイスカヴァ地域及びオクチャーブリスカヴァ地域東部の一部(非公式では「東部地域」として分離しているが)の基本的な住宅建設は、区画整理された9階建ての集合住宅である。市中心はスターリン様式の建造物が優勢を占め、レーニンスキー地区の主要部には「フルシチョフカ」と呼ばれるフルシチョフ様式の建造物が建立し、「ポルバーラカ」と呼ばれる木造1階建てや木造2階建ての住宅も見つけることが出来る。(MOPA)


2.6 功績

産業生産の発達に従い産業課題の解決に尽力したことが讃えられ、1971年にムルマンスク市に労働赤旗勲章が贈られた。また祖国防衛戦争時、独軍との戦いの中で住民が勇敢さと不屈さを顕にし、そして農業及び文化構築において成功を収めたことを讃え、1982年には第一級祖国戦争勲章が贈られた。1985年には祖国防衛戦争時の功績を讃え、ムルマンスク市に対してソビエト連邦政府発行の勲章の中では最高章であるレーニン勲章と金星記章の授与と共に、「英雄都市」の称号が与えられた。

連邦法「ロシア連邦の名誉ある称号《誉れ高い軍事都市》」によれば、残酷な会戦で祖国防衛戦士達が発揮した勇敢さ、不屈さ、英雄主義により、「誉れ高い軍事都市」という名誉ある称号が英雄都市ムルマンスクに与えられた、ということが記されている。(MOPA)

労働赤旗勲章 第一級祖国戦争勲章 レーニン勲章 金星記章
金属部分 労働赤旗勲章 第一級祖国戦争勲章 レーニン勲章 金星記章
リボン部分 労働赤旗帯 第一級祖国戦争帯 レーニン帯

資料:ソ連の勲章(http://cccpcamera.photo-web.cc/Hi-Ho/Medal/index.html)


3 地理

3.1 地理的配置

ムルマンスクは永久凍土地帯が広がる北極圏内にある都市の中では世界最大である。ムルマンスクは、入海から50km離れたコラ湾東の岩場の多い沿岸に沿って20kmに亘って広がっている。ムルマンスクはモスクワから1967km、ペテルブルクから1448km北上したところに位置する。

ムルマンスク市から16km離れたところに、北方艦艇基地がある閉鎖都市セヴェラモルスク市がある。ムルマンスク市とセヴェラモルスク市の間には、ロスリャーコヴォ村、サフォーノヴォ村、サフォーノヴォ−1村などの衛星村落がある。最も近い都市は南方にある古い町コラ市である。ムルマンスク市はこの町の辺境にあるいくつもの小さな地域によって広がりながら既に到達した。市の東西には森林地帯が広がる。この市の最高地点は東部市境にある無名小山で標高305mである。(MOPA)

ロシア地図上のムルマンスク
ロシア地図上のムルマンスク

3.2 タイムゾーン

ムルマンスク市を含むムルマンスク州は、モスクワのタイムゾーン(MSK/MSD)のように国際標準に則り標示されるタイムゾーンに属する。世界標準時はUTC(協定世界標準時)を基準としているが、この標準時から+3:00時間(MSK)のタイムゾーンの中にある。また、サマータイム導入しているため、夏季はその時差は+4:00時間となる(MSD。4月最終日曜〜10月最終日曜)。

ムルマンスク時間は、タイムゾーン時間とは1時間異なる、ロシアの領域は法令で決められた時間で稼動しているからである。(Raffaello)



3.3 気候

ムルマンスクは、北極−北西温帯気候に属する。ムルマンスクの気候は、北大西洋暖流に強い影響を受けるバレンツ海と密接な関係がある。この要因が、北極圏内にある他の大部分の都市と大きく異なる原因となっている。

北極圏内の他都市と違い、ムルマンスクでは異常に高温度の気温が観測されている。1〜2月の平均気温は−10〜−11℃である。メキシコ湾流によってもたらされる温暖な気温と密接な関係にあるせいで、寒い陽気の到来が通常他の北方地域よりも大体ひと月遅れてやって来る。

ムルマンスクの風は、モンスーン(季節により異なる風)の特徴を持つ。冬季は、大陸の方から乾燥凍結した天気をもたらす南風が優勢を占める。ところが夏季は、バレンツ海の方から湿潤な湿度と十分涼しい天気をもたらす北風に変わる。風の変化は大体、6月と9月に生じる。

7月の平均気温は+12〜+13℃で、月の3分の2は雨天に占められている。ムルマンスクの降水量の大部分(約500mm以上)は6〜9月に降り、曇雨天日と降雨日のピークは8月である。史上最低気温は1999年1月27日に記録された−39.4℃、史上最高気温は1972年7月9日に記録された+33.1℃である。ムルマンスク市の緯度では、極夜は12月2日〜1月11日まで続き、白夜は5月22日〜7月22日まで続く。(MOPA)


ムルマンスクの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 年間
絶対最高気温[℃] 7.0 6.6 9.0 16.9 27.2 30.8 32.9 29.1 24.2 15.0 9.6 5.6 32.9
平均最高気温[℃] -7.2 -7.3 -3.3 1.9 7.2 14.0 17.2 15.2 9.6 2.9 -2.0 -5.3 3.7
平均気温[℃] -11.3 -10.9 -6.5 -1.6 3.6 9.2 12.6 10.8 6.7 0.9 -5.0 -9.1 -0.1
平均最低気温[℃] -13.8 -13.4 -9.8 -4.4 0.6 5.7 8.8 8.0 4.3 -1.2 -7.0 -11.4 -2.7
絶対最低気温[℃] -39.4 -38.6 -32.6 -23.0 -10.4 -2.5 1.7 -2.0 -5.4 -21.2 -30.3 -35.0 -39.4
平均降水量[mm] 30 22 19 20 30 53 61 65 53 44 40 36 473
資料: Погода и климат

3.4 河川湖沼

ムルマンスク市には湖が沢山ある(シェルバコーヴァ通とマラータ通、ドリーナウユータにそれぞれ、セミョーノフスコエ湖、スレードニェエ湖、ボリショエ湖、ピチエヴォエ湖、オクニェヴォエ湖、ポルチャンカ湖、レドーヴォエ湖、グルボーキエ湖、カリエールノエ湖、ベジミャンヌィエ湖)。また、むるまんすくしには6つの源泉と3つの川(ヴァルニーチヌィ川、トゥリフォーノフ川とファデーエフ川)がある。産業都市になる前は、そこに鱒や鮭が棲んでいた。(MOPA)

グルボーキエ湖
グルボーキエ湖


3.5 行政区分

出典元:Административное деление Мурманска

ムルマンスク市の面積は138,98km2。町は、レニンスキー地区、オクチャーブリスキー地区、ピェルヴォマイスキー地区の3地区に分けられている。

ムルマンスクの歴史的地域は次の通り。市中心、ボリニーチヌィ地域、ジルストロィ地域、ペトゥシーンカ地域、プラニョールノエ・ポーレ地域、グヴァルジェイスキー地域、ノーヴォエ・プラート地域、スカーリヌィ地域(ヴァストーシヌィ地域)、ロスタ地域、ゼリョーンヌィ・ムィース地域、プロムゾーナ地域、セーヴェルノエ・ナゴールノエ地域、ユージュノエ・ナゴールノエ地域(ユージュヌィ地域)、カーメンノエ・プラート地域、ドリーナ・ウユータ地域、トゥリ・ルーチヤ地域、ドゥローヴィノエ地域、アブラム・ムィース地域。(MOPA)
ムルマンスクの行政区分
ムルマンスクの行政区分


3.6 計画と建設

町は、計画と建設の特殊性を決定する高低差が大きい丘の上に位置する。丘の上に建っている数多くの集合住宅は、階段状の定礎と可変の階段数を有する。16階よりも階数の大きい集合住宅はムルマンスク市に存在しない。なぜならば、永久凍土と厳しい気候が多階数集合住宅の建設を阻害するからである。この町の名所に挙げられている16階建てのホテル「アルクチカ」が最も高い建物である。

9階建てパネル式集合住宅はしばしば色とりどりのモザイクで装飾されており、通りには色彩豊かな装飾石を見ることができる。地元民は色彩不足による飢えから克服しようとしている、と言うのも冬になればムルマンスクの町では基本的な色といったら白と黒だからであり、冬は大体8ヶ月続くのである。これまでにバラック小屋が保存されていた小さな地域があった。(MOPA)
ムルマンスク市中心・ピャーチウグローフ
ムルマンスク市中心,ピャーチ・ウグローフ 


4 行政と議会

ムルマンスク市代表議会の決定が受理された市法令に準じ、一般平等直接選挙法をベースに無記名投票で市長が選出され、5年毎に改選される。地方自治の代表機関であるムルマンスク市議会は30名の代議士で構成され、5年毎に改選される。

最初の市長になったのは、オレグ・ナイジョーノフであった。彼は町の行政を11年間にも亘って主宰した。彼の在職期間中、町の社会計画が多く受け入れられた。ムルマンスクの「名刺」とも言うべき町の顔もまた登場した。それは、灯台、スパス・ナ・ヴァダフ寺院とセミョーノフスコエ湖の公園である。結局、脳の病気が発症し、オレグ・ナイジョーノフは2003年の5月23日、55歳のときに市長としての任務を終えた。

2003年9月7日の市長選挙でゲンナージー・グリヤノフが当選した。けど既に一ヵ月後発作のせいで彼は執務不能であることが認められた。一年後彼は全権を退いた。2004年秋に期限前選挙が行われその結果、現在のミハイル・サフチェンコが当選した。

参照:ムルマンスク市の市長一覧

(伝兵衛多忙により、MOPAへ引継ぎ)
5 人口

ソ連時代、ムルマンスクは劇的に発展し、1980年代末期には人口は最大に達した(データに拠れば、1989年には472,3000人。2005年データの約15倍)。主に首都圏への移住により、ソ連崩壊後人口はほぼ3分の1まで減少した。

2002年の全ロシア国勢調査によると、1989年から2002年までの人口流出は、人口が100,000人以上のロシアの都市の中で、ムルマンスクは戦争で崩壊したグローズヌィに次いで第2位を占めた。(Raffaello)
ムルマンスクの人口動向
ムルマンスクの人口動向
1917 1920 1926 1939 1959 1970 1979 1989 1992 2002 2005 2006
人口[千] 15 2.5 9 119 222 309 382 472.3 468.3 338.2 325.1 320.9


6 経済

6.1 産業

ムルマンスクの産業の基本的部門は次の産業である;漁業および漁獲運搬業、海運業、船舶修理業、鉄道及び自動車輸送業、鉱業、食品製造業、北極海大陸棚での海洋地学及び海洋地質調査業。他の産業としては、ロシアでは唯一の原子力砕氷船を管理している「ムルマンスコエ・マルスコエ・パラホーツトヴァ」「サユーズ・ルィバプロムィーシュレンニコフ・セーヴェラ」「ムルマンスキー・スドレントヌィ・ザヴォート・ミンモルフロータ」「セヴモルプチー」「アルクチクモルテフテガズラズヴェートカ」、科学調査企業「モルゲオ」や、漁獲部門では最大手の「ムルマンスキー・トラローヴィ・フロート」などの大企業がある。
基本的な生産製品は魚類加工品、缶詰加工品、金属加工品、産業機械、梱包材である。(MOPA)


6.2 輸送

6.2.1 港

ロシアで重要な不凍港の1つであるムルマンスク港は、町の経済の基本となっている。ムルマンスクでは北方海洋航路が始められている。ムルマンスク港は、世界最大のバーク型帆船「セードフ」の船籍港である。2007年の5月に、ムルマンスク港の中に経済特区を建設する許可が受け入れられた。

ムルマンスク港は漁港、貿易港と乗客港の3つのパートに分かれている。現在では、石炭の輸出の急激な増加で、貿易港による他港排斥傾向がみられる。なぜならば、ムルマンスクは鉄道で運ばれてきた石炭を降ろし輸出する「積換地点」として機能しているからである。
それと同時に魚の入港が著しく減少した、というのも国内に卸すのではなく輸出した方が都合が良くなったからである。(MOPA)

ムルマンスク港湾
ムルマンスク港湾

6.2.2 鉄道

出典元:Мурманское отделение Октябрьской железной дороги

町の経済の中で、アクチャーブリスキー鉄道が重要な役割を持っている。自動車や船舶による運搬が発達してきているのにも拘らず、貨物の大部分は正に鉄道により運搬されている。ムルマンスクで鉄道は電化されている。乗客と貨物の大部分は南方へ運搬される。(MOPA)


6.2.3 自動車交通

ムルマンスクは、サンクトペテルブルク−ムルマンスクを結ぶコラ幹線道路(M18)の終点である。北極圏最長となった橋が2005年にコラ湾に開通された。そのお蔭で、ムルマンスクからコラ湾西岸にある孤立していた町へのアクセスが容易になった。と同時にムルマンスクは、ノルウェーに向かう幹線道路A138と、フィンランドへ向かう幹線道路P12の始点でもある。(MOPA)


6.2.4 空の交通

出典元:Аэропорт ≪Мурманск≫

ムルマンスク空港はムルマシー村の中にあり、ムルマンスク市からは23km離れたところにある。ムルマンスク空港からモスクワ、サンクトペテルブルクへの便は毎日運行されており、ロシア国内の他都市やノルウェー行きの便もある。(MOPA)


6.2.5 町の交通

出典元:Мурманский троллейбус, Мурманский автобус

町の交通は、アフトバスとトロリーバスによって供給されている。世界最北にあるムルマンスクのトロリーバスは2007年現在では、2番,3番,4番,6番,10番の合計5系統ある。1918年から1934年にムルマンスク市でガソリンで稼動する狭軌の市電があったが、アフトバスの出現により廃止となった。アフトバス交通はバス会社「アフトカロナ1118」で実施されている。20以上のマルシュルートカ(バン型或いはワンボックス型の小バス)が他地域の連絡を補間するようにして稼動している。(MOPA)



7 科学

ムルマンスクは多大な科学研究の可能性を持っている。ムルマンスクには、ムルマンスク海洋生物研究所があり、そこでは海洋生物資源の状況が研究され、環境モニタリングを実施している。極地研究所やクニポービッチ記念極地海洋漁業科学研究所(ПИНРО)もまた、国内外に幅広く定評がある。

科学機関(団体)の研究の主な目的は、東欧海域と北大西洋海域における合理的漁業のための生物学的基礎研究と、資源の状況及び魚類・無脊椎動物の漁獲条件から裏付けられた予測により漁業団体を保障することである。極地海洋漁業科学研究所は、ノルウェー、ファレール諸島とグリーンランドとの漁業開発協力委員会の活動に参加している。2局プロジェクトの範囲内で、ノルウェー、フィンランド、カナダ、スペイン、ドイツ、グリーンランド、ファレール諸島の科学センターとの緊密な協同作業が行われている。
(Raffaello)

8 教育

出典元:Высшие учебные заведения Мурманска, Средние учебные заведения Мурманска

2005-2006年の新学期に188(内訳:公立幼稚園86校、公立保育園6校、公立小学校56校)の公共教育機関が稼動していた。2006-2007年に4校の公立小学校が閉鎖されたなど、公立小学校の縮小化を計画実行した。少子化や他国・地域への人口流出がその原因だが、1990年代初めには学童が僅かしか在籍しない学校があったほどだ。更に1980年代終わりには、3交代制(朝学年、昼学年、夜学年)で9学年同時並行で授業をした学校もあった。だが現在は殆どの学校が全日制(朝〜昼)である。

第31小学校
第31小学校
極夜により普通教育プロセスに影響を与えた。というのは医者からの要請により、12月から2月まで教育授業を2時間遅らせて始め、各授業5分短縮し、2月休暇を追加導入することになったのだ。

専門職に就くための専門教育養成機関が35校存在する。内訳は高等学術機関5校、中等学術機関7校、初等専門学校7校、モスクワやサンクトペテルブルクの高等学術機関の分校が16校、現在約3万人の学生が学んでおり、そのうち半数はムルマンスク国立技術大学やムルマンスク国立教育大学に通っている。(MOPA)


9 文化

9.1 博物館・美術館

ムルマンスク市には、ムルマンスク州立郷土博物館(1926年創設)と、ムルマンスク州立美術館(1989年にムルマンスク最古の石造建物のうちの1室に開館)2つの州立博物館がある。沿革や活動を紹介する独自の博物館を所有する企業や機関もある。
更に市北部には、北方海軍博物館軍事資料・文献などの専門的学術的展示が多い。ムルマンスク市に隣接する閉鎖都市セベロモルスク市にある分室には、潜水艦K-21観光ツアー案内所がある。(MOPA)


9.2 劇場

ムルマンスク市には3つのプロフェッショナルドラマ劇場が営業している。キーロフスク市から移転し1933年に開館されたムルマンスク州立人形劇場が最古である。また、ムルマンスク市 最大の劇場は1939年に開館されたムルマンスク州立ドラマ劇場である。1936年に設立された北方艦艇ドラマ劇場が、1939年にパリャールヌィ市から移転してきた。(MOPA)


9.3 映画館

ソ連時代末期には市内には7つの映画館が営業していて、さらにもう1つ建設されていた。1990年台の経済危機の煽りを受け、セーヴェルノエ・スィヤーニエ映画館、アヴローラ映画館、ウチョース映画館、ミール映画館は閉鎖された。残る3映画館のうち、ロージナ映画館やアトランティカ映画館が物品市場として占領された時代に、ムルマンスク映画館が唯一の映画館であったときがあった。しかし、 徐々にこれら市場を追放していき、現在のロージナ映画館、アトランティカ映画館が通常通り営業された。2000年代に輸入センター「フォールム」の中に、クロンヴェルク映画館が開館された。(MOPA)


9.4 スラブ文字組織と文化の日(聖キリルとメフォージーの日)

ムルマンスクの作家のお蔭で、その後国家のものとなった「スラブ文化と民族文学の日」という祝日が1986年5月24日に北極圏内の首都に誕生した。この後、ブルガリアはムルマンスクとその住民に対し謝意を表した証として、町にキリルとメフォージーの像を贈った。ブルガリア国民図書館にある像と全く同じに造られたその像は、ムルマンスク州立図書館に配置されている。町には全部で図書館が38箇所、文化宮殿が4箇所、クラブ公共施設が5箇所ある。(MOPA)


10 健康と保健

町には病院が18施設、医療診療所が72施設ある。2005年現在では、ムルマンスクにはロシア連邦の平均の1.5倍以上にあたる74人の医師がいる。

10,000人の市民に対し132.2台のベッド数があり、ロシアの平均値より約20%以上多い。
医療保障は比較的悪くないのにも拘らず、羅病率はロシアの平均より少し高い。羅病率は1992年から2001年の10年間に亘って成長し続けており、2001年には開始当時と比較して25%増しになった。2002年からこの傾向は減少し始めたが、2004年時点では1997年時の羅病率の高さにまで低下していない。

町には、地域民のために救急医療機関の支援の発展、一般医療技術の普及、救急や医療の品質向上といった政策が、羅病率低下の目的として導引されている。(MOPA)



11 体育とスポーツ

ムルマンスクには296のスポーツ施設(スポーツ宮殿が2施設、スタジアムが2施設、プールが4施設、スキー場が6施設、カントリースキーセンターが2施設、軽アスレチック場が1施設、スポーツ場93施設)がある。町では50種以上のスポーツが紹介されている。中でも有名なスポーツクラブは、ムルマンスク市のサッカークラブ「セーヴェル」と、上級リーグホッケーチーム[アムヌグル」である。1934年3月から毎年、多目的スポーツ場「ドリーナウユータ」で大スポーツ祭典「プラーズニク・セーヴェラ」が開催される。(MOPA)


12 名所

出典元:Достопримечательности Мурманска

ムルマンスクには、町の歴史が浅いのにも拘らず、名所が少なからず配置されている。町の3地区内に、像と記念敷石が30体以上にも数え上げられる。中でも2つの建物は注目に値する。それが、大祖国戦争犠牲者の慰霊碑(通称:ムルマンスクのアリョーシャ)と事故死した漁師たちの像である。ムルマンスクのアリョーシャはロシアにある巨像のうちの一つである。オクチャーブリスキー地区のピャーチ・ウグローフ広場とレーニン大通りに名所の大部分が集中している。ここに町の中で最も高い建物である、16階建ホテル「アルクチカ」が配置されている。

一方、ムルマンスクで最初の像といえば、内政干渉犠牲者の碑である。レニンスキー地区の心臓になったのは、中央に噴水があるセミョーノフスコエ湖である。湖畔には世界で最北にあるムルマンスク水族館が配置されている。コラ湾とスパス・ナ・ヴァダフ寺院を越して建設された橋が、最近の町の特徴的な顔となった。(MOPA)

大祖国戦争犠牲者の慰霊碑
大祖国戦争犠牲者の慰霊碑


13 ムルマンスク出身及びムルマンスク在住経験がある有名人

ムルマンスク生まれの有名人
アレクセーエフ・ニキータ プロホッケー選手(右FW)。
ヴォルコーヴァ・インナ 歌手。音楽ユニット「コリブラ」のメンバー。
ギスメーエフ・アルマズ 10連覇したキックボクシング世界チャンピオン、名誉スポーツマスター。
ゴーマン・アレクセイ 音楽家、歌手、国民芸術コンクール優勝者。
コヴァレンコ・イリーナ ロシア美人コンテスト2001の優勝者。世界美人コンテスト参加者。
コンスタンチーノフ・ヴラジミール プロホッケー選手(DF)。1997年スタンリー杯所有者。3連覇世界チャンピオン(1986,1989,1990年)。
クルグローヴァ・ラリーサ 陸上競技界の名誉スポーツマスター。2004年アテネオリンピック銀メダリスト。
クリョーヒン・セルゲイ ミュージシャン、作曲家、俳優。
マリギーナ・イリーナ バイアスロンの名誉スポーツマスター。2006年混合リレー世界チャンピオン。
マリツェフ・ヴィチェスラフ 国際クラスのスポーツマスター。ウィンターサーフィン世界チャンピオン。
ナヴィコフ・パーヴェル 映画俳優。演劇俳優。
パヴロフスカヤ・タチヤーナ マリーンスキー劇場所属オペラ歌手。
ロシュコフ・セルゲイ バイアスロンの名誉スポーツマスター。世界・欧州・ロシアコンテストのチャンピオン、複数受賞者。
セミョーノフ・アレクセイ プロホッケー選手(DF)。
スリコフ・アレクサンドル ロシア連邦国家活動家。在ベラルーシロシア大使館非常兼全権大使。アルタイ州知事(1996-2004)。
シェフチュク・イリーナ 女優。ウクライナ共和国名誉女優。
シュムレーヴィッチ・アヴラーム イスラエルの政治活動家。「ベアド・アルツェイヌ」運動のリーダー。

ムルマンスク在住経験がある有名人
ボガーリー=チトーヴェツ・アンナ バイアスロンの名誉スポーツマスター。世界・欧州・ロシアチャンピオン多数受賞者。
ヴァルレイ・ナターリア 映画女優。演劇女優。ロシア連邦名誉女優。
カメンツェフ・ヴラジミール ソ連漁業相(1979-1986)
クジーミン・ヴラジミール ミュージシャン、歌手、作曲家。
ネクラーソフ・アンドレイ 作家、ユーモア小説「ヴルンゲル船長の冒険」の作者。
プゴフキン・ミハイル 映画俳優。演劇俳優。ソ連時代の国民的俳優。
ルージン・エヴゲーニー
(DJ グルーフ)
DJ、作曲家。
トカレフ・ヴィリー ミュージシャン、歌手、作曲家。

(MOPA)

14 国際関係

姉妹都市関係を締結している都市
国名 都市名 締結年月日
フィンランド
フィンランド
ロヴァニエミ 1962年4月23日
スウェーデン
スウェーデン
ルレオ 1972年3月26日
ノルウェー
ノルウェー
トロムソ 1972年7月10日
ノルウェー
ノルウェー
ヴァドソ 1973年4月30日
アメリカ
アメリカ
ジャクソンビル 1975年7月14日
オランダ
オランダ
グロニンゲン 1989年7月20日
ポーランド
ポーランド
シェツィン 1993年4月8日
アイスランド
アイスランド
アキュレイリ 1994年10月14日
近年ドイツ・ククスハーフェン市とポルトガル・アヴェイル市が、ムルマンスクと姉妹都市関係を締結する予定。

大使館・領事館がある国
国名 施設
ノルウェー
ノルウェー 
総領事館
フィンランド
フィンランド 
総領事館分室
スウェーデン
スウェーデン 
総領事館分室
アイスランド
アイスランド 
名誉領事館
ベラルーシ
ベラルーシ 
大使館分室

(MOPA)

15 参照

ムルマンスク市の紋章

16 リンク

情報・照会
ムルマンスク市庁
ムルマンスク市営住宅事業
ムルマンスク市の著名人
ムルマンスク音楽サイト
ムルマンスクに住む両親のためのサイト
キーロフ名称州立文化宮殿のサイト

ニュース
ムルマンスク州情報サイト
ムルマンスク・ビジネスニュース
ムルマンスク・インフォメーション・エージェンシー
ムルマンスクニュース
若者サイト
ヴェチェールニ・ムールマンスク(州新聞)
コムソモリスカヤ・プラウダ・ムルマンスク版
ムールマンスク公報(州新聞)

掲示板・カタログ
ムルマンスク州フォーラム
Murman.ru(ムルマンスク州カタログサイト)

写真
ムルマンスクの歴史と写真
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ムルマンスクに関するビデオクリップ

教育と科学
ムルマンスク市とムルマンスク州の教育ポータルサイト
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旅行
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ムルマンスクのエンターテイメント
ムルマンスク年代記
ムルマンスクの天気




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